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パイオニア(=開拓者)はつらい

★本日の言いたいこと★

 誰もやったことがないことをやるのは、たいへん心細いこと。
 でも、やった後には、大きな自信と誇りが残る。

◎───────────────────────────

 月曜日に、ロッテルダムにあるHogeschool Rotterdamから、
 桜美林大学との交換留学の打ち合わせのために、
 学部長のMolier教授がおいでになった。

 交換留学などの国際交流に関わる仕事はしていないのだが、
 オランダへの留学経験がある、というだけのことで、
 打ち合わせに陪席した。

 Molier教授と本学の担当者との間の話し合いを聞きながら、
 17年前(1989年)に、初めての日本人交換留学生として、
 エラスムス大学に行ったときのことを思い出した。

    ◆   ◇   ◆   ◇   ◆

 あの日、忘れもしない1989年8月29日(火)、
 成田からアンカレッジ経由でアムステルダムまで17時間。
 はじめてオランダに入国した日である。

 もちろん、出迎えなど誰もおらず、
 ひとりで電車に乗ってロッテルダムまで行くと、
 ようやくクラスメートのオランダ人学生が出迎えてくれ、
 大学へ連れて行ってくれた。

 これから4ヶ月間住むことになるアパートの鍵を渡され、
 大学から徒歩10分ほどのところにあるアパートに
 クラスメートと一緒に行った。

 隣の部屋の住人が出迎えてくれた、
 ようやく長旅の荷物を降ろすことができた。
 午前10時ごろだっただろうか。

 クラスメートは他の用事がある、とのことで、
 15時にまたこのアパートに迎えに来るよ、
 と言い残し、去っていった。

    ◆   ◇   ◆   ◇   ◆

 アパートにひとりでいても何もすることはない。
 長旅の疲れはあったが、寝る気にもなれず、
 ちょっと散歩がてら、何か食べるものや飲むものでも買いながら、
 これから生活する街の様子でも見てみようか、と、
 アパートを出た。しかし......、

 これが悲劇の始まりだった。

 実は、渡された鍵は、このアパートの鍵ではなかった。
 最初に部屋に入ったときは、隣人が出迎えてくれたから、
 私が持っている鍵が正しい鍵かどうか、確認できなかったのだ。

 30分ほど周囲を歩き、またアパートに帰ってきたとき、
 はじめて、私はこの悲劇に気づく。

 17年前のことだ。もちろん、携帯電話は、ない。
 クラスメートに連絡をとろうにも、とることができない。
 大学に電話して、何とかしてもらおうとも思ったが、
 電話番号などが書かれた書類は、部屋の中だ。
 右も左もわからない。オランダ語など、ひとつも知らない。

 完全に手詰まり。時計を見る。午前11時。
 クラスメートとの再会の時間まで、あと4時間......。

    ◆   ◇   ◆   ◇   ◆

 いまなら、このような状態に置かれたら、
 映画館でも行って、映画でも見てすごそうか、とか、
 何か時間つぶしを考えるが、当時はそんな余裕もなかった。

 結局、私の初めての海外生活は、
 右も左もわからない街に4時間放り出される、という
 悲劇的なシーンからスタートすることになった。

 この後、言葉がわからない、授業についていけない、
 生活習慣の違いがわからずトンチンカンな行動を起こすなど、
 いろんなバカな経験をしながら、異文化に慣れていくことになる。

 いまとなれば、すべて笑い話だ。
 ただ、言えることは、「パイオニアはつらい」ということだ。
 でもそのつらさを経験した後には、大きな自信と誇りが残る。
 つらさを経験することなく、
 自信と誇りだけを獲得することはできないのだ。

    ◆   ◇   ◆   ◇   ◆

 桜美林大学は、はじめて欧州大陸からの留学生をお迎えする。
 彼らも、そして彼らと交換にオランダに行く学生も、
 過去に前例のない「パイオニア(=開拓者)」だ。

 彼らがよい経験を得、自身と誇りを獲得することを強く願う。

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Reacties

Biuenkorfさん、こんにちは。
読ませていただきながら、エラスムス大学前の並木道、石畳の歩道が目に浮かびました。と同時に、あの街で生活を始めた当初の不安感も思い出しました。

我が家まあいわばパイオニア的存在で、色々ととまどうことばかりでした。夫は「自分が使い物にならなくて帰国させられてしまったら(過去にいたらしいです)、二度と日本人が留学できなくなる」と悲壮な覚悟だったようです。

終わってみれば、その後も2年の任期で留学が続き、もう5人目まで決定済みだそうです。夫は責任を果たせたことにほっとしているようですし、やはり自信、誇りをもてたのではないかと思っています。もっともそれは夫であって、私ではないわけですけど・・・。

学生の方々、様々なことを得られるとよいですね。

Kakoさん、お読みいただいて、ありがとうございます。

Kakoさんのご主人とほぼ同じような事情で、私も最初の交換留学生でしたから、私のパフォーマンスが悪ければ翌年からの交換留学はどうなっていたかわかりませんでしたが、幸いなことに、あれから17年経過しても毎年誰かしら留学しているみたいです。いまではビジネススクールだけでなく、全学部での交換留学が行われています。

私自身、あの頃の切羽詰まった経験はなかなか得られないものだといまでも思っていて、ああいう経験をぜひ、若い人たちにもしてもらいたいなぁ、と思っています。山口百恵の歌ではありませんが「苦労はしても、笑い話に時が変えるよ。心配要らない」ということを実感してもらいたいです。

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